2012年10月13日土曜日

大騒動の七五三詣り

今日は娘の七五三詣りだったのですが、大変な一日になりました。

 写真屋さんに記念撮影に行き、娘の着替えさせている最中、カミさんと相談し「この際、お兄ちゃんも一緒に撮って、年賀状の写真もすませてしまおう」ということになった。

 しかし、これが騒動の発端。ただでさえ出不精な息子は写真屋さんについて来ているだけで不機嫌なところ、さらに好きではない写真撮影につきあわれることになって、ついに爆発。こうなるとこの男、時ところや相手にお構いなく満身で不服の態度を示す。さんざん写真館のスタッフの手を煩わせることになる(息子の撮影をやめようともしたのだけれど、向こうさんも商売なので必死になだめる)。

 なんとか、撮影を終えて石清水八幡宮へ向かう車の中で、私は息子に対して「なんじゃ、あの態度は、小三ににもなってええ加減にしとけよ!」と怒る。それに対して、息子は「何でボク関係ないのに、写真撮ったり神社行ったりせなあかんの、ヒドイ!」と返す。

 この言葉に対して私の怒りもついに頂点に達する「何やその言いぐさは! 家族のことやろっ、あんなぁ、この社会に生きるということはな、誰かのために何かをしたり、誰かのために何かを我慢せなあかんことがあるんじゃ! それをするから、お前にも何かやってもらえることがあるんじゃ! 自分だけのことしか考えへんのやったら、無人島で独りで暮らせ!」と怒鳴り散らして、息子の頬をつねる。

 そして、石清水八幡宮に着くと、息子は同行拒否の態度をとり境内の方に着いてこない。お互いヒートアップしていたので、息子をカミさんに任し、娘と一緒に境内へ七五三詣りの手続きをしにいく。しかし、しばらく待ってもカミさんと息子が来ない。

 すると、カミさんが血相を変え泣きそうな顔で境内の方へ走ってくる。「○○(息子の名)がおらへんようになった!」。どうも逃走をはかったようだ。大変だ、もう七五三詣りどころの話ではない、カミさんが息子を見失った周辺を必死で捜す。道行く人にも小学三年生くらいの男の子を見なかったか、と尋ね足取りの方向を絞る。そして神社からそれほど遠くない、私の実家の母に電話をし「○○が行方不明になった! 家で待機しておいて」と要請。娘も着慣れない着物を長く着て具合が悪くなってきていたので、娘を私の実家に預けにカミさんに車で向かってもらう。その間、もう一度息子を見失った地点に戻り、彼の足取りと今後の対応について考える。

 奴は、時々こういう暴走を起こすが、一方で相当の恐がりでもあるので、薄暗い八幡宮の森の中に入って行くことは考えにくい。 道行く人に聞いたところから絞り込むと、橋本駅方面の住宅街に向かっていることが濃厚、うちの実家もあるし。息子とは毎年正月に橋本方面から八幡宮まで往復するが、橋本の住宅街はかなり複雑、実家まで辿り着けるか? 途中に第三者が介在すると、その足取り仮説も怪しい。

 とりあえず、うちの実家に行ったカミさんの連絡を待って、見つからないようだったら社務所と警察に届けを出すしかない。覚悟を決めて社務所の方向に踵を返したところ携帯電話に着信、実家の母からだ。息子が実家にたどり着いたという知らせ。電話の向こうからカミさんの泣いている声が聞こえる。安堵の大きなため息が漏れる。

 息子に再会してから話を聞くに、やはり橋本の住宅街の途中で道がわからなくなり、近くにいたおばちゃんに声をかけ、「○○さん(実家の名字)の家はどこですか?」と道を尋ねてたどり着いたとのこと。教えてくれた方も住宅地図を引っ張り出してきて調べてくれたのだとか。 息子のつたない説明では、結局どこのどなたかはわからなかったのだが、この場を借りて御礼を申し上げたい。自分の育った地域の温もりを改めて感じることができました。

 その後、気を取り直して午後から七五三詣りに行きました。

 子どもへの提案の仕方、叱り方などについて、いろいろと反省させられる一日となりました。あぁ、疲れた。