2005年6月21日火曜日

一番最初に「パパ」と呼ばせるぞプロジェクト

1歳も過ぎると、「アー」だとか「ウー」だとか奇声だとか、とにかくいろんな声を出すようになる。ある日長男は、何をおもったのか「パパパパパ…」と連呼し出すようになった。最初聞いたときは「おぉ! 最初に『パパ』と呼んだ!」と小躍りしたが、よくよく様子を見ていると、どうも私を呼んでいるわけではなさそうだ。とにかく「パパパ…」という破裂音を連呼するのが楽しくて仕方がないらしい。そうとわかったときは、いささか落胆したものの、「これはチャンスだ」と思い直し「一番最初に『パパ』と呼ばせるぞプロジェクト」を決行することにした。
長男が「パパパ…」と連呼を始めると、「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!はーいっ! 呼んだ? パパでちゅよー」とまぁこの調子で、長男が見てなかろうと、聞いてなかろうと、家の中だろうと外だろうと、過剰なまでに反応を続けた。 仕事で家を出た直後、「パパパ…」と声が聞こえたら、返事をするためダッシュで引き返し、電車に乗り遅れかけたこともあった。
このようにひたすら返事を続け、1ヶ月くらい経ったある日のことだった。長男がテーブルの上の玩具をとろうとして立ち上がっていた。何とか手は届くのだがうまくつかめず、玩具はテーブルの中央に逃げていくばかりだった。しばらく試行錯誤、悪戦苦闘を続け観念しかかったそのとき、玩具の方を指すようにして、確かに私の顔を見ながら「パパ」と呼んだ。「パ」だけでもなく「パパパ」でもなく「パパ」だ。そう呼んで、机の上の玩具を私にとってほしいと意思表示をした。ママでもなく、ババでもなくジィジイでもなく、一番最初に「パパ」と呼んだのだ。感動した。その後長男には、ご褒美としてパパの「チューの嵐」がおみまいされたことは言うまでもない。
しかし、依然としてママやばぁちゃんからパパだっこへの敷居はベルリンの壁のように立ちはだかり、その崩壊までにはもう少しの時の経過を必要とした。

2005年6月20日月曜日

パパは6番目

うちの育児環境は結構恵まれた条件がそろっているのかもしれない。夫婦共働きだが、私の実家が自宅から徒歩1分。カミさんはピアノ講師をしており、週の半分は牧野の実家で仕事をし、残りの半分は某音楽教室で仕事をしている。実家で仕事をしているときは、カミさんの母親が子守をしてくれており、某音楽教室で仕事をするときは、私の母親が面倒を見てくれている。そのおかげで、長男はすっかり「おばぁちゃんっ子」になってしまった。カミさんが仕事を終え長男を迎えに行ったとき、おばぁちゃんから離れるのがいやで泣きわめいていた時期もあった。そのときカミさんは激しくジェラシーを訴えていた。カミさんでさえこの状況なのだから、平日長男が起きている時間にほとんど顔を合わせない私の立場はかなりキツイものがある。ばあちゃんやママのだっこから、私のところへ来ることはまずない。無理矢理ひっぺがすと大泣きするし、手をさしのべるだけで、ばぁちゃんやママにひしとしがみつき、パパのだっこは拒否の姿勢だ。これだけでも結構へこんでしまうのだが、これに追い打ちをかけたのは、じいちゃんの場合でも同じ状態だったことだ。これにはかなりショックを受けた。(両実家のじいちゃんは定年退職していて在宅時間が長い)長男の中では、両ばあちゃん、ママ、両じいちゃん、そしてパパという序列になっているらしい。実にパパは6番目の位置づけだ。
「これではいかん!」と思い、あるプロジェクトを決意するのであった。