福島第一原発の1号機は炉心溶融が濃厚、さらに2号機、3号機でも炉心溶融している可能性が高まったとか。
今になって初めてわかったような言いぐさだが、それはちょっと違うのではないか。長時間にわたり原子炉の冷却電源が断たれている間に炉心溶融が進んだということだ。津波を受けた後、冷却電気系統が絶たれ回復までに長い時間を要していたことは既に報道されている。ならば、その時点で炉心溶融していることも想定できたはずだ。
しかし、地震後1週間前後の東電や原子力保安院、あるいはマスメディアに登場した原子力の専門家が示したのは、原子炉再使用の可否を逡巡して海水注入を躊躇する姿だった。
本当に原子炉が再使用できると楽観していたとしたら、今となってはその知見や技術をもう信じることができない。その時点で「炉心溶融」の情報を発したときの社会騒乱を防ぐための情報操作だとすれば、それは一つの政治判断かと思うが、それならば私たちは、今後政府筋から発表される情報はそいうバイアスを織り込んで行動しなければならない。
とんでもないことが起こっているのに、不都合な情報が小出しにされることにより、私たちの感覚は相当悪慣れしてしまっている。怖いことだ。
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