なぜ選択肢が、少林寺拳法と合気道に絞られていたのか? 通える距離、日程の範疇には、空手もありました(不思議と柔道はみかけなかった)。むしろ合気道は通える範疇で最遠でした。
息子に武道を習わせる主たる動機は、
1.姿勢を良くすること。
2.礼儀正しい振る舞いを身につけること。
3.転んだときなど身体に咄嗟のアクシデントが起こったときにもダメージを最小限にできること。
4.体を動かすこと(ゲームばかりするので)。
徒手空拳の技術が身につくことは、「おまけ」みたいなもので、3.4.の条件を満たせるなら、武道でなくとも茶道でも華道でもよかったのです。むしろ中途半端に徒手空拳を身につけることは、場合によっては有害ですらあります(故に武道は、技術のみならず、精神修養を大切にするのですが)。自分の子ども時代を思い返しても、○手とか○○拳法とかを習っているという乱暴者がいました。そのような習い事をしていなかった私は、どちらかというと彼らの行動から迷惑を被る立場でした。だから○手とか○○拳法が悪いというのではありません。子どもの場合は、肉体的発達が精神的成熟に先行しがちです。覚えた技を使ってみたくなるもので、粗暴な振る舞いをしてしまう時期もあろうかと思います。私の周りにいる武道経験者は、子どもの頃は多少粗暴であっても大人になってからは立派に社会で活躍している人が多く、長い目で見れば、武道が人格形成に良い作用を与えていることがうかがえます。
ただ、そう思えるのも、大人になった今だからであって、一時期の粗暴な彼らの振る舞いから迷惑を被ったという記憶を持つ者としては、自分の子どもにそんな思いをさせたくないし、ましてや、人様にそのような行為をすることは、やはり認め難いのです。
そのため、我が子に習わせる武道は、「専守防衛」を規範としていることが大事な要件だったのです。そのような規範を持った武道で近所にあったのが、この二つだったのです。
最終的に合気道を選択するに至った大きな理由があるのですが、それはまたの機会に。
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